2002-10-14

[DIARY] たいせつなひと

10月9日(水)未明、私の祖母が亡くなりました。
病院での寝たきり生活、というより息をしているだけの生活が長かったので、最初私が聞いたときには「とうとうこの時が来てしまったか」とそれだけの印象でした。

通夜が11日(金)、告別式は12日(土)でした。私は大学が終わった後にバイトを休んで家に帰り、 親戚として通夜に参列しました。

幼稚園生〜小学生の時、私は「おばあちゃんっこ」でした。
私の家とおばあちゃんの家は隣りで、階段を上ってよく遊びに行っていました。広い応接間でおばあちゃんは左に、ひいおばあちゃんは右に座って、いつもお茶を飲んだりしている光景がそこにありました。

おばあちゃんは私のことを「あんちゃん」とか「たけちゃん」とか呼んでました。おばあちゃんの家は広く、遊び場所がたくさんあっていつ行っても飽きなかったです…。

しかし、私が小学3年の時にひいおばあちゃんが94歳だったか老衰で亡くなりました。一人きりになってしまうおばあちゃんの家は、おばあちゃんの長男・私の叔父にあたる人の家族4人と一緒に暮らす為に建て直し、広い応接間は無くなりましたが5人で仲良く暮らしていました。ただ、この時から私がおばあちゃんちに遊びに行くことはめっきり無くなりました…。

通夜に参列している間、そのような懐かしい思い出を色々想い出しているうちに自然と涙が込み上げてきました。ココまで感情的になれている自分、久しぶりでしたね…。通夜が終わるまで、涙が止まる事はありませんでした…。

私が高校生の時、おばあちゃんが倒れ病院に運ばれたと聞きました。その時はすぐ退院できたのですが、帰ってきたおばあちゃんは既に私の知っているおばあちゃんとはかけ離れた状態でした。ほぼ寝たきり、人を呼んではトイレに行かせてくれとをせがみました。あの時、介護をしていた母はノイローゼ気味になっていたかと思います…。まもなく、病院にまた入院となってしまいました。

思えば、この時におばあちゃんの発する最後の声を聞いたのだと思います…。

うちの母と叔母が交互に毎日のように病院に通って、着る物を届けたり洗濯したりずっと介抱をしていました。ただ、おばあちゃんは既に口も聞けない状態になっていました。私も何度か車を運転して病院に行く事はありましたが、おばあちゃんのあまりの変貌に病院に入ると胸が詰まりました…。

息をしているだけ、「生かされている」おばあちゃん。

私は「おばあちゃんの死」に対する覚悟をこの時したのだと思います。

12日告別式。たくさんの弔問客が訪れる中、私は相変わらず親戚の席に座って泣いていました。おばあちゃんが亡くなった事への悲しみでなく、 おばあちゃんはいつまでも私の中で生き続けているし、この悲しみを分かち合った人たちの中にも生き続けるのであるからおばあちゃんは幸せだな…と。

おばあちゃん、ありがとう。

天高い場所で私たちを見守っていてください…。

私が幼い頃、おばあちゃんが私に対していつも言っていたことを思い出しました。
「たけちゃんならいいお嫁さんが出来るよ」
お嫁さんはおろか恋人さえ満足に作れていませんが…
頑張らないといけませんね。

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